? 株式会社 旭川ビニール 肥料チーム

kyokubi_mark Asahikawa Vinyl Co.,Ltd. 株式会社 旭川ビニール

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肥料チーム発足10年目

弊社の肥料チームは、私が社長になった翌々年の2015年(平成27年)1月に発足しましたので、今年で10年目になります。

2015年から昨年2023年(令和5年)までの9年間に、延べ217件の農家様に延べ1,155回の施肥設計を行いましたが、その殆どは昨年まで弊社顧問だった高田が行いました。我々肥料チームは彼の設計を学び、そしてその設計により育った野菜を9年間見てきました。

今年は不節目の年と言えます。それはチームが結成されて10年目ということと、昭和10年生まれの高田が昨年88歳で会社を去ったことです。高田は弊社に1985年(昭和60年)に営業マンとして入社し、旭川・深川市近隣だけでなく、新冠、今金、そして津軽海峡を越えた青森まで行って、ビニールハウスを建て、野菜の施肥設計をしました。

高田の北海道の農業/施設園芸における1番の功績は、1975年(昭和50年)頃に弊社初代社長故大谷二朗が開発した“簡易式軟白長ネギ遮光法”(第44回、第54回 旭ビ教養講座)による長ネギの栽培管理法、そしてその施肥設計法までを平成初期にはすでに完成させていたことです。

また、高田はビニールハウスを売る、というだけでなく、営業コンサルタントして、これから何を作ったらいいか、から始まり、独自の施肥設計法を駆使し、主に野菜の温室栽培法で農家様のお役にたってきました。その1例は、新冠町のピーマンは昭和55年からスタートし、現在は年間生産量は全道1となっていますが、昭和60年代に高田が新冠地区を営業に回った際、宿泊していた宿にご夫婦で尋ねて来た若い農家の方の「これから何を作ったらいいか?」の質問に、「これからは、ピーマンをやりなさい」と言い、そのご夫婦は高田のアドバイスに従いピーマンを始めましたが、後年何度か新冠の年間ピーマン生産1位を獲得しました。

私の高田との出会いは、社長になる1年前の2012年(平成24年)になります。当時、私は旭川赤十字病院に在籍していましたが、会社を継ぐことは決めていました。ある休日に、高田の住む深川市の寿司屋で高田と初めて会い、初めて施肥設計の話を聞き、「これを引き継げはこの会社は存続できる」と確信いたしました。勿論、高田がいつまでも元気でいてくれれば何の問題もないのですが、100年も200年も生きてはくれない訳で、「いつか来てしまう高田の退職の日に備えて、その準備をしよう」と決めました。この12年間、高田の話を聞き、すべて文章にしてきました。高田が私に語ってくれた主にハウス野菜の施肥設計についてのことは、すべて弊社ホームページ/ブログとFacebookの「旭ビ教養講座」にまとめて書いてあります。具体的には、ウリ科、ナス科、ユリ科、イネ科の元肥のことは「第42回~第45回」に、ウリ科、ナス科、ユリ科、カホン科の追肥等のことは「第47回~第55回」に書いてあります。

この高田の知識と経験は後世に伝えていかなければならない、と思っています。それは、単に弊社内だけでなく、広く日本の若い農業の担い手の方にもです。その伝達手段とし、ネットワーク環境を利用した会社HPのブログやFacebookを通して情報提供してきましたし、これからも行います(旭ビ教養講座は、次回は第77回です)。

旭ビ肥料チームを、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

令和6年1月
  代表取締役社長/日本医師会産業医  大谷泰一